ゆうらいふエッセイ

人生最期の時まで我が想いを貫き・生ききるとは?

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人生最期の時まで我が想いを貫き・生ききるとは?

2021年11月自宅にて永眠

 B氏95歳男性・独居生活20年以上。退職後は多くの友人(男女)と趣味や会食を交えて有意義に過ごされていた。95歳まで車を運転され朝は喫茶店でなじみの方々とモーニング会食で交流を楽しみ、日々を優雅に過ごしておられた。
 2021年5月初め、うっ血性心不全・慢性腎不全で緊急入院。3週間の入院治療を終え退院し、在宅独り暮らしの療養生活が始まった。入院時に介護サービス利用を申請され要介護5で退院された。別居の長男夫婦・娘さんが交代で訪問・寝泊りされ在宅介護が始まった。退院時は家族も覚悟していたが住み慣れた自宅でメキメキと元気を取り戻し、室内の杖利用と訪問看護の週1回利用で、身体・病状観察と入浴支援のみで急速に依然の生活スタイルを取り戻され、日々自分の想い通りの生活リズムで行動されるようになった。2か月後には夜間も独りで過ごすようになり家族に食事の用意をしてもらうだけで在宅生活ができるようになり、時には家族の送り迎えで馴染みの喫茶店で過ごすこともあった。訪問時も門のベルを押すと玄関のドアを本人が開けてくださり、居間で絵を書いたり新聞を読んだり・テレビを見たりと気ままに過ごされていた。

 11月初め訪問した娘さんより緊急電話があり「父がベッドに倒れている・・・」と。すぐに駆けつけ共に救急車を呼ぶ運びとなった。訪問看護師・主治医へ連絡し、医師の診察を受けご臨終の時を親族の方々と迎えた。ふと居間のテーブルに目を置くと、来年の干支の寅の絵が書かれた色紙が一箱と年賀状が一重ね置かれていた。

まだ“迎春”の文字が入ってない色紙を目にし、まだまだ日々を生きようとされていた想いを実感しました。

 長男夫婦・娘さんより「父は毎年、次の年の干支の色紙と年賀状を馴染みの方々に送っていました。名簿もきちんと置いています。今日もいつものように起き・いつものように過ごそうとしていたのね。昨日用意した食事もきれいに食べていました」と。近所の方より「一週間前に庭師に来てもらい玄関や庭をきれいに剪定していた」との声も聞きました。
 ふと私の心に『本人にとって今日の日が最期の時と決めた日では無かった。まだまだやりたいこと・したいこと・楽しみたいことがあったのだ。だから今もあの世で日々を楽しむ工夫をされ、多くの友人と交流を深めているのでは?』との想いが浮かんできた。お葬式には多くの女性からのお花で満杯になったとお聞きした。 

『自分らしく生き・老いて死を迎えるとは?』今回遭遇させて頂いたB氏から、自身の心の中にざわめく虫と安堵が住み着いたような気がした。“この世とあの世”の繋がりに気づき、自分らしく悔いなく生きることの幸せを頂きました。