ゆうらいふエッセイ

最期の時を我が家で!を叶えた“独居の男性A氏の想い”

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最期の時を我が家で!を叶えた“独居の男性A氏の想い”

2013年12月 自宅にて永眠

A氏83歳は、2007年心臓弁膜症・肺水腫で手術し身障1種1級の認定を受け退院した。「病院では大きなお金を治療費に使っている。申し訳ない。家が一番良い。人の世話にはなりたくない!」というのが、ケアマネとして訪問した時の第一声であった。

出生時から重度の難聴であったが農家の長男であり家を継いでいらした。慎ましく暮らし、地域との交流は希薄そうであったが、床の間には木に赤い椿を咲かせた造花があり、尋ねると願寺に同じ花を毎年捧げているとのこと。誠実な方で、訪問するとトツトツと小さいころ守山が空襲で射撃を受け怖かったとのお話を聞かせていただいた。野菜やお花の育て方に詳しく、裏の畑はいつも丁寧に耕し整備されていた。庭はご自分で石を並べ植木を植えたと嬉しそうに説明してくださった。介護サービス利用は歩行器のみで「家がいい…何もいらん」が口癖で7年が経過した。

2013年7月腹痛を訴え、近所の方の連絡で救急搬送となるも便秘治療後すぐ退院となる。大阪から駆け付けた妹さんの「自宅に独りは心配…」を聞き入れず「この家から出たくない…此処で暮らす!」と、頑なに我が家での生活を主張された。そこで訪問看護・介護の定期巡回サービスを提案し、妹さんが大阪から介護に来る日も月間プランに入れ、毎日誰かが見守り・介護できる体制を整えた。加えて24時間対応してくださる在宅往診医へと主治医の変更も本人・妹さんの協力で行えた。

「最期まで家にいる。病院にも施設にも行かん…」本人の想いを叶える為に、主治医の了解を得ながら妹さんを交え、看護師・介護職とともに何回も話し合った。

近くにいる弟さんへ連絡したら「私はかわまん…」と見舞いにも来てくれなかった。11月、食事の量も減り見守る妹さんや介護職も心配しながらも本人の頑なな気持ちは変わらない事を確認した。主治医と家族と共に話し合って最期の時は自宅で…と合意した。

12月、クリスマスが近づく頃、妹さんの幼いお孫さんの顔を見て満面の笑顔を見せてくれたと。その後、妹さんへ「医療費や介護費、葬式代だ」と通帳を託されたとお聞きした。年の瀬も迫った夜、2時過ぎに妹さんより電話がかかってきて訪問看護師と駆けつけると、静かに永眠されていた。主治医へ連絡して指示に従った。看護師がエンジェルケアをする中、妹さんと一緒に大事にされていた仏様の前に布団を敷き、着物に着替えた姿で安眠の場を整えた。
後日、妹さんから連絡があり「兄の最期は幸せでした。弟がいますが家や一切の財産は私が引き継ぐことになりました」と。

本人の想いさえしっかり決めておれば”在宅ひとり死”も夢ではないことを実感させて頂きました。