ゆうらいふエッセイ

妻から夫への最期の贈りもの

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妻から夫への最期の贈りもの

2010年 2か月の在宅生活

腹部癌が消化器へ転移し、癌の末期である事を告知され、緩和病棟を勧められていたT氏(60歳)が在宅を強く希望されているとの連絡を病院より受けた。病院でT氏と面会。腹水が溜り食事はできず持続点滴での生活であった。意識も判断力もしっかりされている。「退院し家で入浴したい」との希望。本人の決断に介護者夫は了解していた。在宅生活の為に電動ベッドと週1回の往診・毎日の訪問看護で暮らせないかと希望。在宅医は持続点滴の交換と苦痛の緩和のための麻薬管理・腹水等の症状管理。薬剤師は麻薬や点滴薬の調達と管理。訪問看護師は毎日訪問と緊急対応。病院の職員・家族・在宅スタッフも不安を抱えながらも「困った時・緊急時はいつでも入院する」を前提に自宅に帰った。

「家へ帰りたい!真意は?」常に心におきながら、毎朝9時に訪問し、症状観察・点滴の管理、本人が希望されていた家での保清の支援を行った。入浴は体調の問題で2回しか入れなかったが、足湯をしながら熱いお湯で全身を拭きタオル蒸しをしてさしあげたのはとても喜ばれた。「病院の清拭はぬるいタオルで気持ち悪かった」と。退院6週目に腹水が溜り息苦しくなり主治医は入院を進めたが本人が拒否され、家で腹水穿刺を行い海苔瓶一杯の腹水が引けびっくりしながらも楽になり「まるで戦場での処置ね」とご夫婦の笑顔が見られた。24時間点滴が夜間に落ちなくなったと電話があり、10分で駆けつけて点滴チューブを指で弾いて流れ出すと「看護師さん魔法使いみたい」と笑顔で喜んでくださった。看護師として心掛けたのは「安心して心地良く過ごせるように!」と祈りながら夫婦の生活を見守った。

退院時より「一人でトイレに行けるまでは家に居たい」との希望であったが体調悪化で2か月後に緩和病棟に入院された。入院の日に病院で面会し「家に帰って何が一番良かったですか?」とお聞きすると「家事は何もできなかった主人が、お湯を沸かし・洗濯しタオルや下着の整理ができた。おでんも作れるようになったの」と。

妻から夫へ最期の贈りものは残される夫への“生活自律”でした。

後日自宅を訪問し仏様の御前でご主人の想いをお聞きした。「病床で妻と朝、話をしていたのに…ふっと見たら死んでいた、苦しまずによかった」と。「家に帰ってくれてよかった。妻が退院した時は家のこと等なにもできなかった。ヤカンや食器・洗濯物や下着のしまい場所も知らんかった」と。妻は着物などは姉妹や友人に分けて残りはすべて処分しタンスは空にしてあった。貯金は子供たちに渡していて夫が困らないよう身の回りの整理までできていた。深い学びを得ました。

しばらくの間散歩しているご主人を見かけて挨拶を交わしていたが、見かけなくなり気になっていた。8年後ご主人より電話があり「実は中国に技術指導に行っていた。帰国し病院で検査したら癌の末期と言われた」と。退院できずに永眠されました。ご夫婦の最期の時に巡り合わせて戴き、生き方の真髄を学びました。
団塊の世代、男性は企業戦士との名の基に会社人間としての日々を生き、女性は家事や子育てと家計を守ってきた理想的なご夫婦でした。