ゆうらいふエッセイ

「我が家で暮らしたいが…」息子夫婦への気兼ねが…

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「我が家で暮らしたいが…」息子夫婦への気兼ねが…

息子夫婦の介護を受け・最期は我が家で永眠 2024年3月

N氏92歳女性:同じ在所の男性と“家を守る”ことを使命に結婚。農家の仕事をこなしながら会社勤めを60歳まで続けてきた。この頃夫の急死に遭遇する。「農家の主婦と会社勤めをこなし、2人の子供を育てた」「姑は厳しい人だった」と。退職後は日赤奉仕団や婦人会等の役員をしながら田畑を守ってこられた。「娘が亡くなったのは辛かった」と、現在の家族は長男夫婦と孫2人で暮らしている。上の孫さんは高校受験を控えていた。

R4年11月「総合病院で胃の手術をしてきた」とケアマネジャーの依頼があった。認知症もなくしっかりされており、退院後はおいしく食事し、畑にも行っている…友人も遊びに来てくれほっとしていると。要支援1で福祉用具4点杖レンタル利用。
R5年8月体力の低下で室内用歩行器と自費電動ベッドをレンタルされる。10月総合病院受診時にCT検査を言われたが「どうしよう…うけるほうが良いか…検査は怖い」と相談される「念のために受けるほうが良いですよ」と。息子さん夫婦とも病状について話し合う。
R6年1月CT検査の結果、胃や肝臓に癌が広がっていた。介護保険の区分変更をして訪問看護を開始。1月23日食事が入らず体調不良にて病院入院。緩和病棟を勧められ「息子たちに迷惑はかけられない」との想いもあったが、退院カンファレンス(長男夫婦参加)をして2月3日退院。病院より往診専門医を紹介され安心される。エアマットを入れる。退院後は往診医・看護師の訪問を受け緊急連絡先も明示され、本人・家族も安心された。本人希望で「病院でも使っていた」とバルーンカテーテルを利用されトイレに行かなくてよいので良いと。長男夫婦は「家で介護するのは怖かった…」「母の穏やかな顔をみて家が良いんやなと思った」と。看護師に症状管理や入浴(保清)・着替え・バルーンカテーテルの管理をしてもらい病院にいるように安心されていた。主治医は夜でも電話すると来てくださった。

長男妻「義母に聞きながら赤飯や棒鱈を炊いた。嫁に来た時に教えてもらった料理ができてうれしかった。本人は少ししか食べれなかったが、喜んでくれた」と。長男「妻に言われて母にありがとうと言った」と。

退院時は恐る恐る接していた孫たちもベッドの横で過ごす時間が増えていった。私も家が近いので頻回に訪問できた。家族が家での介護を受け入れ、最期の別れを自宅でできた姿が頼もしかった。約2か月の家族の在宅介護であった。最期の時着物を出していただき看護師と家族と一緒にエンジェルケアを手伝った。長じゅばん・銘仙の着物のセットが揃えてあり親戚の方々もびっくりされた。嫁入りに持参した着物では…と感慨深い想いをいただいた。ありがとうございました。