ゆうらいふエッセイ

いろいろ忘れても我が家が安心!ここは極楽や!

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いろいろ忘れても我が家が安心!ここは極楽や!

2023年2月 我が家で元気

 91歳N氏、生まれ育った在所で親の薦める人と結婚し、長男・長女・次男を育てながら家と田畑を守り暮らしてきた。私も同じ在所に嫁に来て風習や親戚との付き合い方、家の屋号による昔の職業や暮らしなど多くをN氏に教えて頂いた。100軒ほどの在所に、漁師・大工・指物屋・樋屋・薬屋・鍛冶屋・舟屋・豆腐屋・提灯屋・靴屋・茶碗屋等々百貨店・料亭と、生活用品が賄えられてきた。『親も子も働いていた。わしもお父ちゃんに言われて学校から帰ると田の水揚げや水車漕ぎに行かされた』『親は忙しく、親戚の子供の守りをするのは当たり前やった』と、懐かしく語ってくださった。70歳代で同居のご主人に続き次男さん・長女さんを亡くし、独居生活となった。近くの市で暮らす長男さんが日々の暮らしを見守る日々が続いた。
 80歳代になり物忘れが徐々に進み85歳で介護認定を申請、要介護2で介護サービス利用となる。2022年9月からは要介護3の状態で独居生活を続けている。『家で一人で丈夫かな?』と思いながら見守っていたが、朝夕の訪問介護と通所介護週5日の利用と毎日の配食サービス利用で、食事・入浴・着替え・保清ができて見守り体制も整った。人をもてなすのが好きで訪問すると『茶飲めや』と勧めてくださりフレンドリーな関係が続いている。息子さんは週3~4回来て洗濯や見守り(あちこちに入れ歯や食物を始末したり⇒本人は片づけている)されている。要介護2の頃は「寒い」とストーブやエアコンを触るので心配で器具の工夫が必要だった。今は一人で外出することもなく家にいるのでちょっと安心。最近は長男さんが来ても「あんた誰や…」と言われがっかりすると。私の事も「あんた知らんわ」と。でも家の中・座敷を歩行器で廻りながら亡くなった娘・次男・夫の名前を言いながら言葉を交わしているのにビックリ。

若い頃の昔に帰り、一緒に暮らしていた方々と今も生活されているんだと。

 そう気づき『この家に一人で居るのではなく、家族と一緒に暮らしているのですね』と長男さんと会話ができた時『我が家』とは得難いものだと。『住み慣れた我が家で暮らす事の安心』を教えられた。個々の方の過去の暮らしのあり様を知ることの大切さを実感し、ケアマネジメントの真髄を自覚した瞬間であった。

 3~4年前、同じ在所で息子さんが急死され独居となった方に対して、近所の方が『一人では火元が危ない』と訴えた。本人は“気丈に家を守っていた方”であったが、民生委員を入れての話し合いで近隣の方々が市外から来られた家族に「施設に入れてください。私たちが困る」と譲らず、施設入所となった。この時のケアマネジャーとしての心の痛みは忘れることができない。