ゆうらいふエッセイ

17年間の闘病生活を家族の支えで一生懸命生ききったN氏

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17年間の闘病生活を家族の支えで一生懸命生ききったN氏

2025年2月 90歳で永眠

私がN氏と出会ったのは十数年前になります。脳梗塞の後遺症で失語症を発症し、言葉を発するのが難しくなっていました。「こうして欲しい、こうしたい」という思いはあっても上手く伝えることができず、お互いにもどかしさがある中での支援でした。最初の数年は妻とN氏との出会い、お互いの想いをお聞きする事がほとんどでした。会話が上手く進まないことで妻との間で意見が合わないこともあり、間に入って苦慮したこともありました。2か所のデイサービスを利用し、自身のペースで音楽を聴いたりリハビリをしたりして過ごされていました。加齢とともに少しづつ体力も落ちていき、手足の動きも自由に動きにくくなっていきました。

そんな中16年後再度脳梗塞を起こし、電動べッド上での生活を強いられることになりました。もう病院から自宅に戻れないのではないかとの不安もありましたが、本人は「家に帰りたい❣」娘さんや奥様から「家で過ごさせてあげたい❣」との強い思いが伝わり退院され、自宅で1年介護することができました。かかりつけ医が自宅に往診に来てくださり、訪問看護やST・PTなどのセラピスト、訪問介護、訪問入浴等多くの多職種で連携し、娘さんや奥様と都度相談しながら自宅での生活を続けることができました。退院後も決して穏やかではなく、突然の下血や頻回の熱発があり、状態不良が続く日々でした。このまま老衰で…我が家で❣と思っていた矢先、お粥を喉に詰め窒息・心停止状態となり救急搬送となりました。人工呼吸器設置後も意識が戻ることはありませんでした。10日後最期の時を娘さんと奥様がかけつけ看取ることができました。

娘さんからお亡くなりになったとの連絡をいただきました。グリーフケアに伺い、娘さんや奥様の想いをたくさんお聴きしました。娘さんは「子供のころから父ちゃんには本当に大事にしてもらった」「忍耐強く頑張りやだった父ちゃん、最期は老衰で逝くと思っていた。こんな風に亡くなるとは思ってもいなかった」と。母と父ちゃんとの関係は”お互いがこだわりが強かった❣”が、最期は両親が入籍した日に亡くなり、母のことを何よりも一番大事にしていたんだ❣と思った」と・・・最期の10日間のICUでの闘病生活は「私に父ちゃんとの別れの時間をくれた❣」と涙ぐんで話してくれました。

17年間の介護生活のうちで私がケアマネとして関わったのが約10年、奥様と娘さんとの想いの違いに翻弄されながらもお互いの想いに寄り添い多くの学びを得ました。それぞれの想いを傾聴し、想いの深さを知り支援していくことの重要性を学ばせていただきました。サービス担当者会議で私たちに見せてくれた笑顔の写真を見せていただき、改めて一日一日を大切に係わる事の大切さを学びました。

         ケアマネジャー 深田 記